幾星霜を経て / ノルディック班4年 五十嵐 有冴

  先日引退を発表したイチローは会見でこのようなことを言っていた。「思い残したことはない。自分なりに頑張ってきたとはっきり言えるので。後悔をうまないというのは、結果を残す為に自分なりの努力を積み重ねることでしかできないのではないか」と。

 私のスキー部人生はどうだっただろうか。最高の仲間に囲まれ、共に闘い、この競技をここまで続けられた。1年生からの夢であった悲願のインカレ入賞を果たし、最初は考えてもみなかった国体出場という素晴らしい経験もさせてもらった。
 トレーニングチーフとして運営の難しさも知る事ができた。しかし、悔しいという気持ち、もっと上を目指したいという気持ちは引退試合を終えても、いつもと変わりなく湧いてきた。

 自分で引退を決められるスポーツ選手とは違い、私達には4年間という予め決められた期間がある。勿論、今後も競技を続けるか否かはそれぞれだが、この輔仁会スキー部の一員として闘うことができなくなるということが一つの大きな区切りであることに間違いはないだろう。
 そしてそれがどのような結果で終わったとしても、引退というゴールは平等に訪れる。入部当初は引退など想像もつかなく、この生活は果てしなく続いていくのだとさえ感じていたが、実際は驚く程の時の早さで、その中で出来る事も出来ない事も非常に多くあった。だからこそ常に必死に全力で取り組まないと、気がついたらこのかけがえのない時間はあっという間に過ぎ去っていってしまうのだと感じた。

 長い坂を登っているかのように前に進むのが苦しい時や、下り坂を転げ落ちるように何もかも上手くいかなくなる時もあり、まるでクロスカントリーのコースのように一筋縄ではいかないスキー部人生だったが、その長い道のりの中にはいつも応援してくれる仲間がいた。時にぶつかり合いながらも切磋琢磨し何よりの味方であった同期。そしていつも叱咤激励してくれた先輩、ついてきてくれた後輩、導いて下さった監督コーチOBOGの方々。
 感謝の一言では表せないが、こんなにも多くの人が支えて下さったからこそ、私は足を止めることなくゴールまで辿り着けたのだと思う。そんな輔仁会スキー部の一員になれたことが私の一番の誇りだ。

 今後を担う後輩達はこのスキー部にどんな歴史を作ってくれるのだろうか。そんな期待を胸に、大好きなスキー部をいつまでも応援し続けたい。

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