支え / 一般・アルペン班4年 川野 浩太郎

 ただアルペンが続けたい一心で部室の門を叩いた2017年4月1日。そこからの4年間は本当に濃い時間を過ごすことが出来たと改めて思う。これまで自分と関わってくれた全ての人に感謝を伝えたい。

 本当にありがとうございます。

 卒業式当日、同期に「この4年間で後悔はあるか」と聞かれた。中には後悔はないと言っていた同期もいるが自分には後悔がある。結果を残せなかったことに加え、もっと部活に貢献出来たのではないかと考えては自分の力不足を悔いている

 先輩の後ろをついて歩くだけだった1.2年。それこそ自分は何もできず、あの時、先輩に支えて貰えなければ部活を辞めていただろう。ずっとその時見た先輩の背中を追いかけて部活を続けてきた。

3.4年になり役職をもらう様になったが、最後の2年間、後輩たちにその先輩と同じような背中を見せられていたかは分からない。ただ一つ言えることは本当に良い仲間を持ったと思う。

 今年度、これまでの部室で日常を過ごし、部員とくだらない話をしながら毎日大学のセブンイレブンに通う日々が出来ないことに加え、新歓合宿・夏合宿・インカレ・追いコン・一般合宿と部員全員が揃う行事が一切なく、主将として後輩たち伝えることが出来たものは少ないのかもしれない。ただ「こーたろが主将で良かった」と何人かの人から言ってもらえ、これまでの苦労が報われた気がした。

 頼りない後輩であり、先輩であり、同期であった自分が4年間感謝を胸に続けられたのは常に周りにいてくれた人たちのお陰であり、何度お礼を言っても足らない。

4月からは社会人となり部からは離れるが、スキー部で得たかけがえのない経験を活かして今後も成長していきたいと思うとともに、さらなるスキー部の発展を心より願っている。

令和3年卒業 川野浩太郎

感謝 / マネージャー班4年 原 友梨奈


 大学生活4年間をどう過ごすかは一人一人の選択次第ですが、私はスキー部に入部したことで意味のある4年間を過ごせたと自負しています。振り返ると、本気で笑ったり、応援したり、悩んだり、泣いたり、スキー部員でいるどんな瞬間も何かの感情で忙しかったように思います。そんな、何かに本気になれる非常に貴重な環境で、笑って泣いて自分を成長させられた私は、とても幸せ者です。 

 マネージャーなのに何が辛かったんだと思う方も多いと思います。私は2年生から計4種の役職を経験させて頂き、3年生からはマネージャートップという役目も加わり、プレイヤーと部の為に動いてきました。しかしプレイヤーは、「マネージャーなんて何もやってないじゃん」、「マネージャーにプレイヤーの気持ちは分かんないから」、「マネージャーはただのお世話係だ」と度々口にしました。その気持ちもわかりますが、この言葉は、頑張れば頑張る程とても虚しく、後輩マネ達にこんな思いをさせたくない!引退するまでに絶対にマネージャー班を確立してやる!といつの間にかこれが私の目標になっていました。しかし、目標は達成できませんでした。引退する直前までプレイヤーにそう言われ、後輩の為にマネージャー班を確立してあげられませんでした。これは自分の力不足であり、悔しく、とても申し訳なく、一番の心残りです。 

 スキー部のマネージャーは、みんな頑張り屋で、強がりで弱くてでも強くて、思いやりがあって、正直です。大好きなマネージャー班の尊敬する先輩・愛しい後輩と、沢山の笑顔と涙を共有できたこの4年間は私の宝物で、弱い私が逃げずに辛い道を選ぶ為の力です。そんな力をくれたマネージャー班に、心から感謝しています。 

 そして、こんな私を育ててくださり、見守って下さった全ての先輩方に心より感謝しております。 

 また、冒頭で述べたように、私が恵まれた環境で幸せな4年間を過ごせたと言い切れるのは、監督・コーチ、理事の皆様、雪桜会の皆様、スキー部の為にご尽力してくださる全ての方々のおかげです。心より御礼申し上げます。 

 最後になりますが、可愛い後輩たちのより一層の活躍と、学習院大学輔仁会スキー部の更なる発展を祈り、最後の活動報告とさせていただきます。

自分も馬鹿になって気づいたこと / ノルディック班4年 吉田 圭汰

 幼い頃から「なんで?」とよく言う・考える冷めた性格だった。それ故に、形骸化したルールや上下関係も理解に苦しむ。まして変な理屈と軍人のような倫理観を持ち合わせた体育会系の教員など生理的に受け付けなかった。気合いや根性といった抽象論で何ができるのか。体育会系の人間というのはつくづく馬鹿だと思っていた。

 けれども社会のリーダー達の中には“体育会系”と呼ばれる人々が多く存在する。トヨタ自動車の豊田章男氏、麻生太郎副総理、ローソンの玉塚元一氏など数え出すときりがない。

 それは偶然かもしれないが必然かもしれない、

 本ばかり読んでも世間知らずの偏った人間になりそう、

 体育会アレルギーを発症するのではなく実際にやってみるか!

 今振り返ればそんな気持ちで部活を始めていた。よくこんなマインドで辞めなかったものだ。

 四年間スキー部で活動してみてもやはり体育会というのは好きになれなかった。令和でもまだこんなことやっているのかというような、“先輩の自己満足としか思えないような化石ルール”はトレチとして勝手に削除した。

 それでもスキー部は嫌な思い出にはならなかった。馬鹿げていると思っても、大声を出して友人と練習に熱中する日々は酷でもあり非常に楽しかった。成績を残せた時は素直に嬉しかった。それだけでなく、組織を動かすことの大変さや後輩達を持つ責任感はここで学んだ気がする。価値観も大学四年間で広がった。社会人を目の前にした今、なぜ体育会が社会のリーダーを輩出するのかを理解した。

 何事も理屈で考えるうえに口の利き方を知らない私は、先輩方からすればかなり生意気だったでしょうし、同期や後輩からすれば少し(かなり?)曲者だったでしょう。それでも可愛がっていただいたり、面白がっていただいたのは皆様の懐の深さだと思います。ここで勉強したことを活かせるよう精進します。

残雪 / 一般・アルペン班4年 山本 章太

 このスキー部での4年間、自分はずっと終わりを探していた。高校から競技として始めたスキー、もっと言えば小学校、中学校と続けた野球を含めて、自分のスポーツ生活の終わりだ。どうやって最後の一本を滑って終えるか、そればかりを考えていた。

 振り返れば、ずっと意地を張ってスキーをしていたのかもしれない。誰よりも滑っていたかったし、これ以上ないぐらい滑ったと自信を持って言える。春も夏も秋も冬も滑り続けた。周りからしたら狂ったように滑っていると思われていただろう。しかし何よりもスキーをしていたかったから、この部の部員になったのだ。

 夜だか朝だか分からない時間に東名を飛ばしたり、まるで近所のように菅平や志賀を往復した。西は鳥取、北は北海道まで、授業の合間を縫って雪を追いかけ続けた。納得しなければ、「また明日頑張ろう」を何度も何度も繰り返した。時には行き詰まり滑りたくない時もあったし、何度心が折れたか分からない。しかし悩み続けると試したい事がふつふつと湧き上がり、またゲレンデへ向かった。

 毎朝同じ時間に起き、コントレをして朝食を食べ、午前中の練習と午後の練習の間に昼食をかき込み、帰ってきてワックスとコントレをして夕飯を食べて温泉へ行き、スキー仲間と語った後に寝る。この生活が当たり前だったし、いつまでも続くかのような錯覚を覚えた。その度に、いつかは最後の日が来て山を降りる日が来るのだと言い聞かせてきた。

 そうしてついに先日、最後の練習を終えた。インカレが無くなり皆がばらばらと引退していく中、自分は最後の方だった。自分も引退なのだと自覚させられるほどに、もっとスキーが速くなりたかったという欲がふつふつと湧き上がる。それはまるで雪山の魔物に取り憑かれているかの様に。

 最後に、一緒に滑ってくれた全ての方と、チームへ最大限の感謝を。

生涯スキーヤー宣言 / 一般・アルペン班4年 吉田 圭佑

 それは、想像より遥かに長い間猛威を振るい続けた。もう嫌という程耳にしたその名。新型コロナウイルスである。

    その名前がニュースで聞かれはじめたのは昨年のインカレの時分であった。まさかその次の年のインカレが中止に追い込まれるとは、誰も想像しなかったであろう。我々4年生はスキー人生の集大成を発揮する場を失われることとなった。

    また、個人的な話で恐縮であるが、その影響は僕の卒業後の進路にも大きく影響を及ぼすこととなり、僕は昨年10月に卒業後の進路の変更を決意。それは最後のシーズンを完全に棒に振ることを意味した。

    このように我々の代のスキー部の活動は望まない形での終焉となった。とはいっても、この4年間は長いスキーヤー人生のごく一部にすぎない。卒業後もスキーをプレーする機会を作ることはできる、ということは様々な先輩方を見ていて感じるところである。

    スキーは生涯スポーツであるとよく言われるが、卒業した後も自分の好きなスポーツを続けられるということはとても幸せであると思う。自分が在学中に出会った、社会人として活動しながらスキーをプレーする人々は皆充実した人生を送っていたように思えた。

    僕の競技人生はこのような不本意な形で終わることとなってしまったが、 スキーヤーとしてはまだまだこれからである。スキー部で培った技術、スキーができる環境、そして何よりもかけがえのない同期や内外の先輩方との人脈を大切にこれからのスキーヤー人生を生きていきたい。

スキー部を振り返って / ノルディック班4年 足立 昇平


 振り返ってみれば4年前、私はアルペンスキーとバスケットボールができるということで他の部活動やサークルに迷っているなか、最終的にスキー部に入部した。それは数ヶ月後に入部目的の2つは果たされなくなってしまったが、今ではとても懐かしく感じる。

 1年生のシーズン最後には、そんなアルペンをやりたいという気持ちを汲み取ってか、アルペンスキーの練習と大会に出場できるように誘って、手配してくれた同期と先輩方に感謝したい。正直とても楽しむことができた。

 そしてノルディックスキーという競技に出会えたことも感謝したい。正直やるつもりは全くなかったが、この競技に出会えたことで面白い世界に出会うこともでき、今まで聞いたこともない場所に行くこともできた。またスキージャンプという貴重な経験もわずかではあるが、できたことも感謝したい。

 しかしプレイヤーとして、この4年間で満足のいく結果はひとつとして残すことができなかった。これは思い描いていたものではなく、非常に悔しいし心残りで、もっと違う結果を残せれば良かった。だが残念ながらもう遅い。段階的に目標達成はできたものの、最終的な目標を達成出来なかったことは猛省しなければならないと思う。この経験を振り返って価値のあるものとするために、今までの行いを振り返って、今後に活きることを見つけていきたい。

「アイラブユー」の最大公約数 / 一般・アルペン班4年 間瀬 麻日

 『新歓期間最終日。春風に吹かれて桜の花びらが舞い散る中、高鳴る胸の鼓動を落ち着 かせて、スキー部の部室の扉をノックしたことをつい先日のことのように思い出します。』

 そう4年前に活動報告に書いたのがつい昨日のようだ。長かったようで短かった、スキーと共に過ごした4年間だった。いざ最後に書く活動報告を考えると何を書いたらいいかわからなかった。スキー部の日々を思い返せば楽しいことも辛いことも沢山あるなと改めて思う。

 楽しいだけではなくてよかった、と思うのは自分だけだろうか。以前、あるスキー関係者と お話ししていた時に「1人でスタート台に立つあのなんとも言えない緊張感と孤独を味わうのはスキー競技の隠れたいいところだと思う」というのを聞いた。たしかに眼前に広がる赤と青の旗や景色を目の前に抑揚のない機械音と共に滑り出す感覚は筆舌に尽くし難い。 私たちは何本スタートを切ってきただろう。タイムレースも大会も、それぞれに思い出がある。もちろん人生の節目にも使われるこの言葉は大学生活のスタートを切る新入生たちも新社会人としてスタートを切る同期たちも同じように孤独と緊張感に溢れているのだろう。

 「アイラブユー」の最大公約数は感謝だ。

 感謝のない愛は愛ではない。

 私の4年間は愛に溢れていた。 辛い時も楽しい時も一緒に過ごした大好きな仲間たち、支えてくださったOBOGの先輩方、 頼りない私と一緒に頑張ってくれた可愛い後輩たち。

 全ての人へ愛と感謝を込めて。

繋げる春 / ノルディック班2年 石毛 美桜

 昨年度は、制限された状況下でも、2020-21シーズンの冬に向けできる限りのトレーニングを行ってきた。後輩を指導するうちに自分も改善すべき点が見つかったり、後輩の言葉から気づくことがあったりと、身体共に成長できた年であった。

 競技面では、ローラー練習の際に一本の板に乗れる時間が格段に長くなるなど、去年からの成長を実感できており、早く雪上に立って今年の自分の滑りを確認したい、雪上で新たな改善点を見つけてより早く、美しく滑れるよう試行錯誤したい。という気持ちでいっぱいだった。去年の冬合宿においては同期の後埜上が急激に成長するのを横目に、練習してもなかなか感覚を掴み切れず、クロカンは本当に楽しいのかと疑問に思うまでに至っていた私だが、今年に関しては部員の誰よりも冬を楽しみにしていたといっても過言ではない。

 しかし、シーズンイン直前の11月末に左足を負傷。日頃のケア不足の積み重ねが原因だった。1か月の絶対安静を言い渡されたときは絶望すら感じた。自分の身体の異変に気づかないまま怪我をするというのは、競技者としてあってはならないことだと思った。そんな時、OBの方から「負傷していてもできることは沢山ある、身体共に更に強くなれるチャンスと捉えよう。」と励ましの言葉をかけていただいた。この言葉が、私を再出発へ導く契機となった。

 復帰後の自分の滑りは、去年と比較してもかなり改善されていた。一部校選手には程遠い滑りだが、板の真上に乗る感覚がかなり掴めてきた。「板までが自分の脚だと思って滑る。」というアドバイスをいただいたことがあるが、その意味もやっと分かった気がした。しかし、改善されたとはいえ、まだまだ、バランスを保ちきれない、平地や下りから平地へのつなぎで加速しきれないなどの課題が山積みである。今シーズンは制限された状況下ではあるが、まだシーズンは終わっていない。状況を言い訳とせず、できる範囲で行動していきたい。

イ ンカレで4年生が活躍される姿を見られないまま、2月が終わろうとしている。去年からお世話になっている先輩方の勇姿を見届けなかったことが大変悔やまれるが、この春から新たに仲間となる新しい1年生に、先輩方の背中から学んだことを繋いでいきたいと思う。それが、気づけばもう3年になろうとしている私がすべきことだ。

インカレに向けて / 一般・アルペン班4年 川野 浩太郎


 本来であればこの時期の活動報告は表題の通り、「インカレに向けて」熱い思い書くものになるはずであったが、今年はそれが出来ない。

 競技を始めて10年目であり、ラストイヤーである今年に最大の目標であったインカレが目の前から無くなってしまった悔しさは計り知れず、公式発表が出てから数日は全てに対し、集中力がない中、ただひたすらにトレーニングを行っていた。

 誰のせいでもないコロナの影響でこのようなことになってしまったことに、運が悪かったと簡単に片づける人も居るが、このまま学習院大学スキー部として活動が出来ないまま、引退となってしまうことが何よりも悔しい。

 この4年間でスキーのレベルだけではなく、人としても成長することが出来たと実感している。その積み上げてきたものを感謝の気持ちとともに、インカレでぶつけ、部員26名と最後笑い合って引退出来れば、今までの苦労も報われると思っていたが、今はただ死に場所を求めさまよっている状態だ。

 望む引退の形が出来ないなか学生でいられる時間も残りわずかになってしまった。大学生活の4年間は本当に全て、スキー部に捧げたと自負できる。アルペンスキーヤーとして、またスキー部の部員として、これまで出会ってきた人々や経験は一生の宝であり、それさえあれば引退の形がどんなものであれ、自分は幸せ者だとも思う。

 悔しさと感謝が入り混じる4年の冬だが、後輩達がまた来年度以降、「インカレに向けて」熱く努力する姿勢をOBとして温かく見守りたいと思う。

    

冬を迎えて / ノルディック班2年 伊藤 慧

 2020-21シーズンの冬を迎えて、ちょうどシーズンの前半戦が終わった1月である。シーズンの前半が終わって思うことは、今シーズンの4月から12月を振りかえって、冬の合宿、試合に向けた準備を怠ってしまったことである。

 2020年は新型コロナウイルスの影響で、学生チャンピオンスキー大会の2ヶ月前の10月まで部全体での活動が学校側に認められることはなかった。そのため4月から10月までの半年の間は、個人での自主トレーニングが中心であったが、スキー部で朝早く起きて、 学校内でトレーニングをする昨年とは違い、トレーニングチーフの行ったメニューを消化するのではなく、自分でトレーニングメニューを考えなければならず、物事を計画だって進めることが苦手な私にとって、目的や計画性のない半年間を過ごし てしまった。

 今まで気づいていなかったが、いかに自分が部活動に対して、トレーニングに対して受動的であったかを痛感した。その結果が、12月の学生チャンピオンスキー大会でクラシカル最下位という不甲斐ない滑りになってしまったのだと思う。

 2021年の1月現在、日本政府から緊急事態宣言が再発令され、大学側も再び、 対面での課外活動の中止を要請してるなかで、今シーズンのインカレが実際に開催され、出場できるのか大変不安な状態であるが、何が起こっても動揺せずに、来シーズンも見据えた準備をしなければならないと思いながら今日を過ごしている。