スキー部入部の理由 / 1年 田村 萌

 私は、昔から一番好きなスポーツはスキーで、部活動でスキー競技をやりたくて入部を決めました。

 生まれ育った場所は埼玉で、スキーができる環境はほぼありません。両親に小さい頃から、長野や群馬に連れてもらいスキーを楽しんでいました。ある日、冬季五輪のスキー競技をテレビで見た際、選手が様々な華麗な滑りでゴールに向かっていく姿に感激し、いつか競技としてスキーをしたい、という気持ちを持ちはじめました。

 スキー部のある学校に通うことはできませんでしたが、体力づくりのため中学校で陸上部に入部しました。私が部活動でスキーをやりたいという気持ちが強まったのは、中学の部活が影響されていると思います。その陸上部では、中長距離に専念していたので、毎日長距離を走り鍛えていましたが、練習が辛く、心が折れそうなこともありました。そんな時、いつも先輩や仲間が支えてくれました。陸上は個人競技と思われがちだが、本当は団体競技なのだ、と顧問の先生がよくおっしゃっていました。確かに、大会で走るときは一人ですが、その場に立つまで互いに支えあい練習してきた仲間の声が、大会では聞こえてきます。練習を共にしてきた仲間がいたからこそ、日々成長できたと感じました。仲間と互いに切磋琢磨して励んだ3年間は、心身ともに鍛えられました。

 スキー競技は、未経験のため、まだわかりませんが、スキーも陸上と同じように、個人競技に見えて団体競技だと思います。部の持つ意義を考えながら、日々努力していきたいです。

入部理由・目標 / 1年 小菅 耕大

 本年度、学習院輔仁会スキー部に入部いたしました国際社会科学部国際社会学科1年の小菅耕大です。中高では6年間日大三高スキー部に所属し、アルペンスキーをやっていました。

 僕が大学でもスキーを続けようと思ったのは一つ目に純粋にアルペンスキーが楽しくてまだまだやめたくないと思ったからです。高校時代はオフシーズンに吐きそうになるほど過酷な練習をして辛い思いをしていました。しかしそれ以上に、雪上練習や部活内、クラブチーム内での関係が楽しかった思い出があります。

 二つ目は一緒に中学からスキーを始めた同級生が昨シーズンの高校最後の年にインターハイ出場を決めたことに感化されたからです。僕は高校時代、東京都インターハイ予選の選考会では表彰されたことはありましたが、その後のインターハイ出場を決める本戦では良い順位と呼べるところにはいませんでした。また、高校最後の年は受験をしたことによってスキーが全くできませんでした。大学に入ったら雪上練習量が格段に増えると聞いていたので、その中で自分の滑りの課題を見つけて直していき、より上の順位や大会に出たいと思いました。以上が入部を決めた理由です。

 来シーズンに向けての目標は、まずは受験期で失った体力を戻し今までのトレーニング量をこなせるようになること、オフシーズン期間をこれ以上怪我なく過ごし、シーズン中も大きな怪我なく終わらせるということを目標に頑張っていきます。

 これから輔仁会スキー部でさらに成長していきたいと思います。先輩方やOB・OGの方々、監督・コーチの方々にはこれからお世話になります。よろしくお願いいたします。読んでいただきありがとうございました。

日進月歩 / ノルディック班2年 須藤 恭佑

「思っていたよりもしんどかった。」

 これは12月合宿を終えて、去年の年末に家族に漏らした自分の本音である。初めての大会は今までの部活動や受験で経験した苦境以上に、自分の身体、精神を潰そうとしてくるものだった。この時、この競技を残り3年も続けると考えると憂鬱で仕方がなかったのを覚えている。

 そんな心境を経て、2月では技術や速さ、3月ではまだ掴めていなかった技術やフォームをメインに練習した。去年の合宿では受動的に何でも吸収していたが、初レースを経験した後の今年の合宿では先輩方やOB、コーチの指導を基に、能動的に練習中で身につけていく滑りの感覚を取捨選択するようになっていった。

 しかし結果的に冬を経験して感じたことは、言うまでもなく体幹や筋肉などの要素も大切だが、第一に体力をつけていくことが今の自分に足りていない課題の多くを解決できるということだった。心肺機能を強化しなければ、本番中に技術を使い時によって上手く活用することができない。実際に3月の10kmレースでは体力が足りていなかったため、練習で教えて頂いた滑り方を本番中に常に意識することすらできなかった。

 次の冬までに全体練習では持久力をつけるLSDや筋トレ、ローラー練習では一歩で長く進む滑り方の研究、などのバランスの良いメニューを行い、自主練では一番必要な強度の高いインターバル走やレペのタイムを少しでも更新し続ける。焦らず着実に土台を作り上げ、次の冬の大会ではこれからさらに会得していく正しい滑り方などの繊細な技術を100%発揮して今回の自分の大会のタイムを大幅に上回りたい。

今年の目標 / 一般・アルペン班2年 境田 陸人

 私が学習院大学輔仁会スキー部に入部してから、早くも1年が経った。大学生として初めて迎えた2020年度のシーズンは、コロナ渦であるにもかかわらず、70日以上も雪上練習を行うことが出来た。健康な体でシーズンを終えられたことを、まずは感謝したい。

 ところで、昨年度の目標は、「スラロームでインカレのメンバーに選ばれること」であった。残念ながら、昨年度のインカレは中止となったため、目標を達成できたかどうかを知ることはできない。しかし、シーズンを通じて他の部員の滑りを見ると、この目標を達成するのは到底不可能だったのではないかと感じてしまった。現役の部員の中だけでさえ、インカレのメンバーに選ばれるのは厳しいのが現状であるが、それに加えて、アルペンスキーの経験が豊富な新入生も入部してきた。

 だが、私はこの目標を、今年も変わらず目標としたい。なぜなら、他の部員とのレベルの差を、実際に肌で感じることができたからこそ、追いつき、追い越そうという気概が生まれるからである。

 この目標を達成するためには、雪上練習だけでなく、オフシーズンの過ごし方がとても重要な要素になると考える。昨年のオフシーズンは、練習を始めるのが8月からと、とても遅かった。そのため、冬までに体を作り終えることができず、また、プラスノー練習で根本的な滑りの技術を会得することもできなかった。

 質のいい雪上練習をするためには、まずはオフシーズンの努力を重ねるところから。まだ4月、と怠けることなく、1日を大切に活動していきたい。

今の自分に欠けているもの / ノルディック班3年 石毛 美桜

 昨年のシーズンでは、あともっと体力があれば、もっと腕・腿の筋肉があれば…と試合中に後悔する場面が多かった。

 昨年のオフシーズンのトレーニング計画は一人で立案・実行したが、12月までに万全のコンディションに仕上げるのはなかなか困難であった。モチベーションが低下した際には憧れのクロスカントリースキー選手、石田正子選手や田中ゆかり選手の動画を見て自分を奮い立たせ、なんとかトレーニングを継続することが出来た。

 今年のトレーニング計画を立てるにあたり、去年の自らのトレーニングを省みると、持久力向上に特化したトレーニングの不足という問題点が浮かび上がった。これは、去年のトレーニングチーフ吉田さんからもご指摘をいただいた点だ。持久力を向上させる為、どのような計画でトレーニングを進めようか考えた時に、2月に出会ったトレイルランニング日本代表の方のことが頭に浮かんだ。

 彼女のクロスカントリーの技術が素晴らしいのはもちろんのこと、非常に高い探求心と精神力を持ち合わせた方だった。3月末の志賀高原距離競技大会に一緒に出場した際にも彼女を観察したが、コース分析の仕方や試合への気持ちの持って行き方、当日までの滑りの調整など全てに置いて私の遥か上をいっていた。私も今年の冬までに彼女に少しでも近づけるよう、トレイルランニングを積極的にトレーニングに取り入れ、持久力だけでなく精神力も鍛え直したいと考えている。高尾山での早朝トレイルランニングの回数を増やし、長めの休みには別の山でのトレイルランニングにも挑戦するつもりだ。

 また、コロナ禍で自分と向き合う時間が増えたせいか、最近の私は内省的になりがちだ。尊敬するトレーナーさん、オリンピック選手、一部校選手、他校のライバル、同期、後輩など周りにも目を向け、吸収できるすべてのことを吸収して自分の力としたい。視野狭窄に陥らないよう、多角的な視点を持っているよう心がけるつもりだ。

支え / 一般・アルペン班4年 川野 浩太郎

 ただアルペンが続けたい一心で部室の門を叩いた2017年4月1日。そこからの4年間は本当に濃い時間を過ごすことが出来たと改めて思う。これまで自分と関わってくれた全ての人に感謝を伝えたい。

 本当にありがとうございます。

 卒業式当日、同期に「この4年間で後悔はあるか」と聞かれた。中には後悔はないと言っていた同期もいるが自分には後悔がある。結果を残せなかったことに加え、もっと部活に貢献出来たのではないかと考えては自分の力不足を悔いている

 先輩の後ろをついて歩くだけだった1.2年。それこそ自分は何もできず、あの時、先輩に支えて貰えなければ部活を辞めていただろう。ずっとその時見た先輩の背中を追いかけて部活を続けてきた。

3.4年になり役職をもらう様になったが、最後の2年間、後輩たちにその先輩と同じような背中を見せられていたかは分からない。ただ一つ言えることは本当に良い仲間を持ったと思う。

 今年度、これまでの部室で日常を過ごし、部員とくだらない話をしながら毎日大学のセブンイレブンに通う日々が出来ないことに加え、新歓合宿・夏合宿・インカレ・追いコン・一般合宿と部員全員が揃う行事が一切なく、主将として後輩たち伝えることが出来たものは少ないのかもしれない。ただ「こーたろが主将で良かった」と何人かの人から言ってもらえ、これまでの苦労が報われた気がした。

 頼りない後輩であり、先輩であり、同期であった自分が4年間感謝を胸に続けられたのは常に周りにいてくれた人たちのお陰であり、何度お礼を言っても足らない。

4月からは社会人となり部からは離れるが、スキー部で得たかけがえのない経験を活かして今後も成長していきたいと思うとともに、さらなるスキー部の発展を心より願っている。

令和3年卒業 川野浩太郎

感謝 / マネージャー班4年 原 友梨奈


 大学生活4年間をどう過ごすかは一人一人の選択次第ですが、私はスキー部に入部したことで意味のある4年間を過ごせたと自負しています。振り返ると、本気で笑ったり、応援したり、悩んだり、泣いたり、スキー部員でいるどんな瞬間も何かの感情で忙しかったように思います。そんな、何かに本気になれる非常に貴重な環境で、笑って泣いて自分を成長させられた私は、とても幸せ者です。 

 マネージャーなのに何が辛かったんだと思う方も多いと思います。私は2年生から計4種の役職を経験させて頂き、3年生からはマネージャートップという役目も加わり、プレイヤーと部の為に動いてきました。しかしプレイヤーは、「マネージャーなんて何もやってないじゃん」、「マネージャーにプレイヤーの気持ちは分かんないから」、「マネージャーはただのお世話係だ」と度々口にしました。その気持ちもわかりますが、この言葉は、頑張れば頑張る程とても虚しく、後輩マネ達にこんな思いをさせたくない!引退するまでに絶対にマネージャー班を確立してやる!といつの間にかこれが私の目標になっていました。しかし、目標は達成できませんでした。引退する直前までプレイヤーにそう言われ、後輩の為にマネージャー班を確立してあげられませんでした。これは自分の力不足であり、悔しく、とても申し訳なく、一番の心残りです。 

 スキー部のマネージャーは、みんな頑張り屋で、強がりで弱くてでも強くて、思いやりがあって、正直です。大好きなマネージャー班の尊敬する先輩・愛しい後輩と、沢山の笑顔と涙を共有できたこの4年間は私の宝物で、弱い私が逃げずに辛い道を選ぶ為の力です。そんな力をくれたマネージャー班に、心から感謝しています。 

 そして、こんな私を育ててくださり、見守って下さった全ての先輩方に心より感謝しております。 

 また、冒頭で述べたように、私が恵まれた環境で幸せな4年間を過ごせたと言い切れるのは、監督・コーチ、理事の皆様、雪桜会の皆様、スキー部の為にご尽力してくださる全ての方々のおかげです。心より御礼申し上げます。 

 最後になりますが、可愛い後輩たちのより一層の活躍と、学習院大学輔仁会スキー部の更なる発展を祈り、最後の活動報告とさせていただきます。

自分も馬鹿になって気づいたこと / ノルディック班4年 吉田 圭汰

 幼い頃から「なんで?」とよく言う・考える冷めた性格だった。それ故に、形骸化したルールや上下関係も理解に苦しむ。まして変な理屈と軍人のような倫理観を持ち合わせた体育会系の教員など生理的に受け付けなかった。気合いや根性といった抽象論で何ができるのか。体育会系の人間というのはつくづく馬鹿だと思っていた。

 けれども社会のリーダー達の中には“体育会系”と呼ばれる人々が多く存在する。トヨタ自動車の豊田章男氏、麻生太郎副総理、ローソンの玉塚元一氏など数え出すときりがない。

 それは偶然かもしれないが必然かもしれない、

 本ばかり読んでも世間知らずの偏った人間になりそう、

 体育会アレルギーを発症するのではなく実際にやってみるか!

 今振り返ればそんな気持ちで部活を始めていた。よくこんなマインドで辞めなかったものだ。

 四年間スキー部で活動してみてもやはり体育会というのは好きになれなかった。令和でもまだこんなことやっているのかというような、“先輩の自己満足としか思えないような化石ルール”はトレチとして勝手に削除した。

 それでもスキー部は嫌な思い出にはならなかった。馬鹿げていると思っても、大声を出して友人と練習に熱中する日々は酷でもあり非常に楽しかった。成績を残せた時は素直に嬉しかった。それだけでなく、組織を動かすことの大変さや後輩達を持つ責任感はここで学んだ気がする。価値観も大学四年間で広がった。社会人を目の前にした今、なぜ体育会が社会のリーダーを輩出するのかを理解した。

 何事も理屈で考えるうえに口の利き方を知らない私は、先輩方からすればかなり生意気だったでしょうし、同期や後輩からすれば少し(かなり?)曲者だったでしょう。それでも可愛がっていただいたり、面白がっていただいたのは皆様の懐の深さだと思います。ここで勉強したことを活かせるよう精進します。

残雪 / 一般・アルペン班4年 山本 章太

 このスキー部での4年間、自分はずっと終わりを探していた。高校から競技として始めたスキー、もっと言えば小学校、中学校と続けた野球を含めて、自分のスポーツ生活の終わりだ。どうやって最後の一本を滑って終えるか、そればかりを考えていた。

 振り返れば、ずっと意地を張ってスキーをしていたのかもしれない。誰よりも滑っていたかったし、これ以上ないぐらい滑ったと自信を持って言える。春も夏も秋も冬も滑り続けた。周りからしたら狂ったように滑っていると思われていただろう。しかし何よりもスキーをしていたかったから、この部の部員になったのだ。

 夜だか朝だか分からない時間に東名を飛ばしたり、まるで近所のように菅平や志賀を往復した。西は鳥取、北は北海道まで、授業の合間を縫って雪を追いかけ続けた。納得しなければ、「また明日頑張ろう」を何度も何度も繰り返した。時には行き詰まり滑りたくない時もあったし、何度心が折れたか分からない。しかし悩み続けると試したい事がふつふつと湧き上がり、またゲレンデへ向かった。

 毎朝同じ時間に起き、コントレをして朝食を食べ、午前中の練習と午後の練習の間に昼食をかき込み、帰ってきてワックスとコントレをして夕飯を食べて温泉へ行き、スキー仲間と語った後に寝る。この生活が当たり前だったし、いつまでも続くかのような錯覚を覚えた。その度に、いつかは最後の日が来て山を降りる日が来るのだと言い聞かせてきた。

 そうしてついに先日、最後の練習を終えた。インカレが無くなり皆がばらばらと引退していく中、自分は最後の方だった。自分も引退なのだと自覚させられるほどに、もっとスキーが速くなりたかったという欲がふつふつと湧き上がる。それはまるで雪山の魔物に取り憑かれているかの様に。

 最後に、一緒に滑ってくれた全ての方と、チームへ最大限の感謝を。