自分も馬鹿になって気づいたこと / ノルディック班4年 吉田 圭汰

 幼い頃から「なんで?」とよく言う・考える冷めた性格だった。それ故に、形骸化したルールや上下関係も理解に苦しむ。まして変な理屈と軍人のような倫理観を持ち合わせた体育会系の教員など生理的に受け付けなかった。気合いや根性といった抽象論で何ができるのか。体育会系の人間というのはつくづく馬鹿だと思っていた。

 けれども社会のリーダー達の中には“体育会系”と呼ばれる人々が多く存在する。トヨタ自動車の豊田章男氏、麻生太郎副総理、ローソンの玉塚元一氏など数え出すときりがない。

 それは偶然かもしれないが必然かもしれない、

 本ばかり読んでも世間知らずの偏った人間になりそう、

 体育会アレルギーを発症するのではなく実際にやってみるか!

 今振り返ればそんな気持ちで部活を始めていた。よくこんなマインドで辞めなかったものだ。

 四年間スキー部で活動してみてもやはり体育会というのは好きになれなかった。令和でもまだこんなことやっているのかというような、“先輩の自己満足としか思えないような化石ルール”はトレチとして勝手に削除した。

 それでもスキー部は嫌な思い出にはならなかった。馬鹿げていると思っても、大声を出して友人と練習に熱中する日々は酷でもあり非常に楽しかった。成績を残せた時は素直に嬉しかった。それだけでなく、組織を動かすことの大変さや後輩達を持つ責任感はここで学んだ気がする。価値観も大学四年間で広がった。社会人を目の前にした今、なぜ体育会が社会のリーダーを輩出するのかを理解した。

 何事も理屈で考えるうえに口の利き方を知らない私は、先輩方からすればかなり生意気だったでしょうし、同期や後輩からすれば少し(かなり?)曲者だったでしょう。それでも可愛がっていただいたり、面白がっていただいたのは皆様の懐の深さだと思います。ここで勉強したことを活かせるよう精進します。